長期企画。90’s HIPHOPを代表するアーティストと言える 『A Tribe Called Quest』の英語版WIKIの翻訳に挑戦。
Article Source ← 今回は、項目『Beginnings』を翻訳。
関連記事 – 『A Tribe Called Quest』 英語版Wikiを翻訳 ♯1
Beginnings
※写真はNY Queens..
Q-Tip ( Kamaal Ibn John Fareed ) と Phife Dawg ( Malik Izaak Taylor ) は、ニューヨークのクイーンズで育った幼馴染。
はじめに、Q-Tipは、MC Love Child名義のソロ・アーティストとして活動を開始、時々ラッパーとDJのデュオとしてMuhammadと時々チームを組んでいた。そのデュオが、Phifeとデモを頻繁に作っていた期間は、当時、Crush Connectionとして知られていた。Phifeがちょうど正式メンバーとなるとすぐに、Whiteが加わった。
そのグループの最終的な名前”A Tribe Called Quest”は、Q-TipとMuhammadと同じ高校に通っていたJungle Brothersの面々によって1988年に命名された。
Q-Tipは、Jungle Brothersデビューアルバム”Straight Out the Jungle”に収録された曲中の、”Black is Black ” と “The Promo “の2曲に参加。
1989年初期、Geffen Recordsとデモ取引にサインして、後のアルバムに収録される”Description Of A Fool “, “I Left My Wallet in El Segundo ” そして “Can I Kick It ? “を含む5曲のデモをプロデュースした。しかし、Geffen Recordsは、グループのレコーディング契約を不可能と決定し、グループは、他の事務所と契約する許可を受けた。
マルチアルバム契約のために、好条件なオファーが様々なレーベルより申し込まれたわけだが、その中でも一番、堅実的な契約をJive Recordsと交わした。
Jive Records はその時、Boogie Down Productions と Too Short という成功を積み重ねているキャリアのアーティストを抱えている
独立系 ラップ ・レーベルとして知られていた。
1994年後半、”The Source Awards”の時にTupacが、ステージでA Tribe Called Quest押した(オススメした。)事により、 “The East Coast–West Coast Hip Hop Rivalry”呼ばれる事件が起こったが、Tupacのこの態度は、Tribeへの見せかけだけのディスリスペクト(軽蔑的振る舞い)だったと後から、わかる事になる。
補足すると、要するにTribe オススメだぜ〜っていうからかいだったのかと・・・
※The East Coast–West Coast hip hop rivalry – 1991から1997かけてのアーティストとファンとの間にあった東海岸ヒップホップと西海岸ヒップホップの確執、特に1994年から1997年のアメリカのヒップホップシーンを指す。直訳するとEast Coast と West Coastヒップホップの火花を散らす抗争。
———————————–
今回は、ここまで・・・
Article Source ← これ翻訳してます (; ̄^ ̄)..ん~
♯2 あとがき
今回は、『Beginnings』の部分を翻訳。
翻訳に対して、誤りや日本文的な相違などあればご指摘ください。
次回…
♯3 Albums – People’s Instinctive Travels and the Paths of Rhythm
Article Information
参考アルバム itunes
参考アルバム amazon
コメント